スプリングの掛ける位置などは、
分解時にデジカメのマクロ撮影で記録してあるので間違いありませんね。
シャッターの開く構造ですが、
チャージするとねじりバネが矢印の方向に動きます。
羽根を作動させるカムが矢印の位置でロックされ、
シャッターを切るとロックがはずれます。
カムが時計回りに回転。シャッターを開くレバーが蹴られて右方向に移動。そのピンがシャッターを動かすピンを時計回りに押し上げ、羽根が開き始めます。
羽根の動きがスムーズなのでガバナー、セルフタイマーを取り付けてユニットを仕上げます。
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ペンタックスMEなどに使われたシャッターですよね。
R6もそうだったのですか。
そう言えば、確かにミノルタXDも使われていましたね。
でも、XEのときはR3と共にコパルと共同開発したシャッターだとか……。
シャッターメーカーも鎬を削っていた時代だったのですねぇ。
XEが人気があった訳ですね。
ライカはレンジファインダーにこだわっている間、日本の一眼レフが主流になりつつあった。
急遽一眼レフを開発しようとしても、日本製に追いつかず、日本の技術を取り入れることになった。特にミノルタと協力関係が出来上がったのですね。
そもそもM5という、お金のかかりすぎたモデルがあり、それを補完する廉価版モデルを造ろうと、その開発を日本のメーカーに依頼するもくろみで、ライツはミノルタと提携関係を結ぶのです。それで生まれたカメラが、あのちいちゃなRF機、ライツ・ミノルタCLでした。ライセンスの都合上、ヨーロッパで売られたCLは、ライカとして、日本とアメリカではライツ・ミノルタとして販売されたのです。その伏線から、これまたお金のかかりすぎている一眼レフ、ライカフレックスSL2に代わるAE一眼レフを造るために、XEを借りたわけですね。基本的に共通部品は、内部光学系と、ダイキャストフレームで、外回りは本国にてデザインされました。R3はそれでなくても多国籍なカメラで、販売はドイツ本社で行ったものの、組み立てはポルトガル工場、レンズはカナダ工場、そしてキャストは日本からの供給……だったのです。あーあーまた喋っちゃった(^^;;)。
XEというカメラは、実はミノルタにとっては失敗作でした。昭和51年に確か発売されたのですが、完成度という点ではものすごく高密度、高精度だったのです。でも、既にオリンパスとペンタックスの小型軽量機が世を席巻している時期に、あのような大きくて重いボディ、そして爆発的に売れた、『連写一眼』、キャノンAE−1という、ワインダー付きのリーズナブルなカメラが幅を利かせているところへ、ワインダーも付かないXEは、立つ瀬がなかったのですね。僅か2年足らずで、大あわてでキャノンに泡を吹かせた両優先プログラム機のXDを造って、何とか失地回復を果たしたのでした。
ただ、ファンの間では、これほどのカメラはない……と、長く伝説の存在として語り継がれたものです。私も大変に好きでした。でも……、もうAEがみんなダメになるし、プリズムの下半分腐食がやたらに多かったですね。今はいいもの、見つかるのかなぁ……?
この固体もプリズムに完璧な腐食がありました。
肝心な部分が劣化したモルトによる侵食で駄目になっていますね。残念です……。
このプリズムは、光学関係の知り合いにお願いして再蒸着しました。
ファインダーはよくなったのですが、AEがおかしいです。
ここ最近はあまり見かけませんねぇ?
XE。また探してみたくなりましたよ。